- 小窪廃寺跡
- 小窪瓦窯跡
- 速川神社
- 早借八幡宮
- 舟山公園
- いぼ石
- 城ヶ峰
- 肝煎小兵衛妻女之碑
- バンブー王国
- わら加工グループ
- 蛇池
- 床鍋鉱泉
- 臼ヶ峰山頂公園
- そうけ作り
- りんご園
- 夫婦滝・神の間滝
- 大伴家持「庭中花」碑
- ご上使宿の御宿泊所碑
- 勝伝寺らんま絵図
1.小窪廃寺跡
塔のスマ(石場)と云われる所。ここから塔心礎石(石全体で径1.6m 高さ63cmの円形、その中心に径80cm 深さ16cmの円孔)-現在、小久米神社境内に設置-や布目瓦などが出土したことから、奈良時代には30m級の塔(五重の塔)が建っていたといえよう。
2.小窪瓦窯跡
塔のスマ(石場)から遠くない場所にあり、瓦は、当時この辺りに古寺院が多くあり、大きな需要があった。
3.速川神社
延喜式内社、往古は2百石をもち神宮僧侶も沢山いたと云う。また、この滝尾山の登り口あたりは大門と云われており、山内には48寺坊(真言宗)ー月光坊・金剛坊などーの坊舎など多くあったと云う。
4.早借八幡宮
明治36年造立。吽形で前足を伏せ、顔の後ろかげんが優しく、せりあがりも大きく伸びやかで均衡がいい。
5.舟山公園
憩いの広場として、桜などが植えられ 遊歩道や休憩所を整備。広さは約20,000㎡、高さ30mと散策などには手ごろなところ、また、360度の眺望ができます。
6.いぼ石(小窪廃寺塔心礎石)
小窪廃寺跡から出土したもので、久目の永福寺まで運ぼうとしたが重くて途中で動けなくなり、小久米神社へおさめることになった。この石の水でイボを洗うとイボが取れたと云う。
7.城ヶ峰(池田城跡)
応安年間 小浦氏が城主(三善のち小浦)につき続き、天正年間に入るや畠山→上杉謙信→佐々成政と戦乱が駆け巡る。今は、本丸跡には旧小久米小学校(現速川小)の校歌(♪古太刀も出し城ヶ峰の)等の碑がある。また、上庄谷の眺めの良い展望所となっている。
8.肝煎小兵衛妻女之碑
元禄時代、肝煎小兵衛の家が出火し、火にまかれ逃げ遅れた妻は、村の大切な村御印を命に代えても守らなければと肌にしまい守ったと云う。この徳義をたたえ彰徳することになった。
9.バンブー王国
竹細工を趣味として、数々の製作品を編み出している。
10.わら加工グループ
自分等で作ったわらを、持ち込み、世間話をしながら、わら加工品(わらじ・つる・かめ等)について研究し様々な情報交換の場となっている。
11.蛇池
雨乞い伝説の池。池を埋めたため村の田畑を守る大蛇がいなくなった。ある年、干ばつが続いた。「それは大蛇を追いやったためじゃ」と。その大蛇が石動山にいると云うので、そこへ行き(お蛇様の)水を貰って雨乞いをしたと云う。
12.秘湯「床鍋温泉」
開湯150年、鉱泉の湯は、つるつるのアルカリ性。美容効果も高く、肌がなめらかで健康に良くまた、お湯上りの川魚や山菜料理は地元を活かした食材。ふるさとの美味でもてなす山間の一軒宿。入浴・食事のみも可能。
お問合せ TEL.0766-76-2351
休みは毎月最終月曜
13.臼ヶ峰山頂公園
歴史の道百選に選ばれる「臼が峰往来」の山頂公園。ここから、富山湾や羽咋の海、また、立山連峰や二上山、宝達山まで一望できる。更に能登の夕日が、きれいに見られるところです。大伴家持が往来したとき詠んだ歌碑や親鸞配流の際、野宿をしたと云う処に親鸞聖人の御旧蹟の石碑や銅像、少し離れて太子堂が建つ。更に地蔵園地(地蔵650体)やご上使(巡見使)が休憩した茶屋場跡等がある。更に、バーベキュー施設や展望台、駐車場も整備しています。
14.そうけ作り
そうけは、農閑期の手仕事として手掛けていた。竹を割り、しなやかな青竹の表皮やヒゴなどを材料にして、そうけを作る。
15.りんご園
中山間地の棚田を利用してりんご園を造成(樹木約千本)。南限に位置するりんご栽培、実も大きく糖度が高くとても美味しい。
16.夫婦滝 神の間滝
桜、椿、ドウダンツツジ、花などを植えて公園化している。滝(夫婦滝)もあり、上段に男滝、下段は女滝となっている。また、少し離れたところに、水量が多い日には素麺を広げたように流れ落ちる「神の間滝」もあります。
17.大伴家持「庭中花」碑
越中赴任(5年)中においてナデシコやユリを庭に植えながら、都に居る妻を思い馳せ、侘しいこころを慰めている心情の歌です。
18.ご上使宿の御宿泊所碑
ご上使(巡見使)は1700年頃、能登深谷から臼ヶ峰を越えた。日名田(関谷)から小久米を経て田江への順路が一般的で、安達家が昼食宿になる事が多かった。
19.勝伝寺らんま絵図
真宗大谷派(東)の寺。本堂には親鸞聖人が歩まれた姿や地獄極楽などの絵らんまがある。境内には大きな「もちの木」が迎えている。